山形フィルハーモニー交響楽団


山フィルへの想い

(山フィル45周年記念パンフレット「Welcome to 山形フィルハーモニー交響楽団」より)


                    長坂のみち(Violin)

 アマチュアオーケストラで大切な事は、演奏を楽しむ事だとよく言われますが、 この”楽しむ”という事、具体的にどういう事なんでしょうか? プロじゃないんだから間違おうと音程ハズレようと、ズレようと、クビになるわけじゃない。 だから気楽に! そんな散漫な演奏ちっとも面白くない。だからと言ってピリピリビクビク、縮こまって 音を拾い、軍隊式にリズムを合わせても、これも何だか弾いていて不毛な感じがする。 そもそも私達は、いえ私は、何故一文の得にもならないのに、くそ面白くもない練習を くり返し、放ったらかしにされた夫の仏頂面を無視しつつ、感動的ドヘタ!!という どうしようも無い自己嫌悪と戦いながら、尚、オーケストラをやめないのか。 それは今、私が食らいつき、何とかその姿を捕えようとしている”音楽”というものが、 それだけの価値と魅力を備えているものだと思っているからです。 私が心がけ意識している事は、練習は、作品そのものの為にするものであって、 自分がうまく弾く為ではないという事です。 その作品が本来持っている音楽の姿が私達の目前にたち現れ、音楽が音楽によってのみ 表現できる”ある何か”瞬間的で輝かしい 言葉では言い尽くせぬ”ある何か” をほんの少しでも垣間見ることができるなら、その為の労力は惜しみたくないのです。 もちろんオーケストラは私達の生活の全てではなく一部です。 そのバランスを崩してまでやる必要はなく、仕事や家庭で時間的、能力的に制約が でてくるわけですが、一つの曲を5ヶ月練習できるんです。 ごまかしたり逃げだしたりせず、誠実に取り組めばきっとその作品が応えてくれる はずだと信じています。 こう考えてくると、何だか私の音楽は”楽しむ”とは少し違うような気がします。 でもこんな風に考え直すんです。 ”楽しむ”というのは私達のこういった試行錯誤や悪戦苦闘の末にふっと生まれる 余裕のようなものじゃないかと「なーに力んでんのよアンタは、そんなタイソーな もんじゃないでしょうが、楽しみましょうよ ネ!!」
 ハイ、その通りでございます。

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